2010年02月13日

間々田〜室の八島〜壬生

2ヶ月ぶりに「おくのほそ道」を歩くことにした。
この日に前々から歩こうと思っていたのだが、朝起きたら粉雪が舞っていた。
どうしようか迷ったが、そのうちあがるだろうと楽観的に考え、小山市の間々田に向かった。
間々田駅で電車を降りても粉雪は舞ったままだった。

今日の行程は、間々田から室の八島によって壬生までの約18キロ。
ガイドブックとして読み込んでいる『芭蕉「おくのほそ道」の旅(金森敦子 著)』では、室の八島についてあまりいいことは書いていない。
今日はつなぎの区間かなと駅伝のようなことを考えて「おくのほそ道」御徒紀行を再開した。

間々田からは日光街道を北へ。
小山市の中心街を抜け、両毛線の踏み切りを越え、喜沢の交差点へ。
ここで日光街道から離れて壬生通(日光西街道)を行くことになる。

下野国分寺跡の案内が見えると、行政区は小山市から下野市へ。
旧国名を市の名前にするのは、私は一般的には賛成しない。
まあ、この場合はぎりぎりOKかな。

室の八島に向かうため、壬生通を離れ栃木市に入る。
すぐに思(おもい)川を渡る。
このころから粉雪ははっきり雪に変わる。
やっぱり室の八島に行くのやめようかと思ったが、ここまで来たらなんとでもなれ、と開き直って目的地へ。
着いてみると、これがなかなかいい風情。
雪がいい化粧になっているのかもしれない。

SANY0131.JPG
芭蕉句碑 「いと遊に結びつきたるけぶりかな







SANY0133.JPG
本殿

期待してなかった分、いいもの見たなと思い、室の八島を後にする。

回りもすっかり暗くなってきた。

再び思川を渡り、今度は壬生町に入り、再び壬生通にもどって少し歩いたところで本日の行程は終了。

繰り返し書くが、あまり期待していなかった分、今回は歩き終えて面白かったという印象が残っている。
毎回あまり期待しないで歩き始めることにするかな。
実際、次回こそは本当にあまりおもしろくないだろうなと思っているんだが。

雪になり 身震いするなか 思川
この記事へのコメント
室の八島は、かつては景勝地あるいは栄えた町であったらしいが、江戸時代には田園地帯に変わってしまって往時の面影は微塵もありませんでした。

糸遊(=陽炎)に結びつきたる(室の八島の)煙哉 松尾芭蕉

ですから室の八島を見て来た人の文にあまりいい事は書いてありません。
金森敦子はそういう文を参考にしてますのであまりいいことは書いてないのです。

なお江戸時代、室の八島とは神社であるという[奥の細道]の言うことを信じる人は、一部の無知な人しかおりませんでした。

「室の八島とは神社である」が多くの人に信じられるようになるのは、室の八島が[奥の細道]でしか知られなくなってしまった戦後のことです。



Posted by 八島 守 at 2012年03月06日 08:32
「旧国名を市の名前にするのは、私は一般的には賛成しない。」

同感です。昔の地名をたよりに場所を探すと、地名がなくなっていて場所がわからない。

「角筈(つのはず)」の地名が消えて、今は「新宿区西新宿、歌舞伎町および新宿の一部」だって、とんでもない。

地名には歴史があるので、現在の人間がかってに替えるべきものではないと考えます。

金沢市は昔の地名に戻したそうですね。

Posted by 八島 守 at 2012年03月06日 08:55
いと遊に結びつきたるけぶりかな 松尾芭蕉

意味:かの有名な名所室の八島も、今では煙の代わりに糸遊(陽炎)が立つような田園地帯に変わってしまったのだなあ。

これが当時の江戸の町の人達の室の八島に対する代表的イメージです。

上の俳句は、惣社河岸辺りから室の八島大明神まで来る間、付近の田園地帯の風景を眺めながら詠んだものです。
Posted by 八島 守 at 2012年03月06日 09:04
栃木市の大神神社は、境内にある八つの小島のある池(小島にある小祠は含みません)を通説室の八島であると案内してますが、

松尾芭蕉の[奥の細道]では、この神社の祭神木花咲耶姫の無戸室の故事の舞台となった境内一帯を室の八島として、無戸室の故事に出て来ない池は室の八島と無関係であるとしています。
Posted by 八島 守 at 2012年03月06日 09:17
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