2011年04月04日

リリーはもういないのに

「チェイシング・リリー」 マイクル・コナリー著 古沢嘉通・三角和代 訳 ハヤカワ文庫 読了。

ロサンゼルスを舞台にした孤高の刑事ハリー・ボッシュシリーズで知られるマイクル・コナリーのノンシリーズ作品。
まずこの作品は訳者を見て、オヤッと思った。
コナリーのほとんどの作品は、古沢嘉通氏が一人で訳しているが、この作品に限っては三角和代女史との共訳になっている。
そのあたりはどういう事情があるのかとちょっと気になった。

ストーリーはというと、ナノテク学者でベンチャー企業の代表も務めるヘンリー・ピアスの引越し先に「リリーはいるか?」といった電話が立て続けにかかってくる。
よせばいいのにピアスはリリーとは何者なのかを調べるようになり、トラブルに巻き込まれ…というもの。
読み始めのうちは、ピアスがなぜそこまでリリーに深く興味を覚えるかが納得いかなかった。
また、ピアスの行動自体も常軌を逸したもので、まったく困ったちゃんだなと思いながら読み進めた。
だが、物語の収束はなるほどと思わせるものだった。
さすが豪腕コナリーとうなった。

コナリーの本を何冊か読むと、ノンシリーズでも同じ登場人物が出てくることがよくある。
この作品でも「エンジェル・フライト」で登場したジャニス・ラングワイザーが仕事を変えて再登場している。
もっともこのことは解説を読んで確認したことで、私はすっかり忘れていた。
このジャニス、再び登場することはあるのだろうか。
根拠はないが、またどこかでお目にかかれそうな気がする。

いまコナリー作品を発表された順に読み進めている。
次はハリー・ボッシュシリーズの番だ。
前作が驚きのエンディングだっただけに、どういう作品になるのか興味津々といったところ。
訳者ではないが、コナリーの作品はもっと読まれていいと思う。
ちょっともったいないというか、残念な気がする。
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2011年04月03日

芸人の笑えるネタが満載

「笑芸人 しょの世界 プロも使えるネタノート」 高田文夫 著 双葉新書 読了。

現代の関東の笑芸人について語らせたら、高田文夫の右に出るものはいないだろう。
その高田文夫の、ネタ満載の連載(月刊誌『EX大衆』の2008年1月から2010年10月まで)を1冊にまとめたのがこの本。
腰巻には「報復絶倒の爆笑小噺 237連発!!」とある。

題名は、高田文夫が大学時代敬愛していた永六輔が書いた「芸人 その世界」から取っていると本の始めの「まくら」に書いてある。
「しょの世界」というのが高田文夫センセらしい。

いろいろなギャグが満載されているが、芸人のものよりも長嶋茂雄のもののほうがなぜか強く印象に残っている。
本当なのかギャグなのか定かではないが、いくつか紹介したい。
「私は若い頃からホームランバッターというバッテラを貼られましたからね」、それをいうのならレッテル。
ラジオ局に入ってきて、たくさんの女子が電話を受けている部屋を見て「盛り上がってますねぇ、エロ本センター」、テレフォンセンターだって。
オリンピックの入場行進を見て「素晴らしい、一糸まとわぬ入場行進」、一糸乱れぬでしょ。
二つめのはつくりっぽいな。

また「まくら」も戻るが、高田文夫の選ぶ芸人ベスト9が発表されている。
ベスト9というところがミソで、野球の打順に見立てている。
そのため、4番が最強芸人となる。
主だったものだけ紹介すると、1番が春風亭昇太、3番が爆笑問題、4番が予想通りビートたけしで、5番が立川談志。
しぶいところで7番イッセー尾形にうなり、代走要員の江頭2:50に苦笑する。
同じことを徳光和夫もやっていて、こちらの4番は植木等。
素晴らしい、徳光を見直した。

肩がこらず、気楽に読める本。
私はあえてゆっくりと読んだが、その気になれば1時間ちょとで読み終えることができたのではないかと思う。
だからといって、内容が薄い本とは申しませんが。
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2011年04月02日

呪力がもたらした新世界

「新世界より」 貴志祐介 著 講談社文庫 読了。

1月に同じ著者の「悪の教典」を取り上げた。
その際、最近文庫化されたものがあるということを書いたが、それが今回取り上げる「新世界より」。
「悪の教典」が単行本2冊の大作だったが、この「新世界より」も文庫3冊(単行本時は2冊)の大作。
2月末から読み始めて、読み終わったのは大地震のあった日の翌日だった。

物語は、私こと渡辺早季の手記という形を取っている。
舞台は今から約一千年後の神栖66町、現在の茨城県神栖市のあたりと考えて問題ないだろう。
一千年後の世界だというのに科学文明は発達しておらず、むしろ大きく退化している。
クルマはないケータイはない、電力も水車で作ったわずかばかりのもののみ。
しかし人類は呪力(念動力)を使えるようになっている。

大作なのであらすじを書くのも大変な労力を要する。
そこで思い切って端折ってしまうことにする。
非常に乱暴な言い方になるが、SFの要素を多分に盛り込んだファンタジー、あるいは冒険小説として私は読んだ。
人によっては他の読み方をする人もいるだろう。
それでもエンターテインメントとして一級品であることは間違いない。

内容よりも本筋ではない瑣末なことを書く。
渡辺早季の父は町長で、母は図書館長をしている。
この作品世界では、町長より図書館長のほうが権力がある。
さらにえらいのが倫理委員会委員長。
また夫婦別姓。

動植物の名前は、ほとんどが架空のものと思われるが一部現実世界でも実在するものが混じっている。
読んでいるうちに、何が実在して何が架空のものなのか混乱してしまった。
混乱させるようなネーミングに著者のこだわり、面白がりを感じる。

題名をもじるわけではないが、独自の物語世界が展開されている。
この世界になじんだら、あとは一気に読み進めたいと思うことになるのではないか。
私は、仕事中も次の展開が気になって身が入らないことがあるほどだった(まあ普段から入っていないという噂もありますが)。
貴志祐介の構想力にはシャッポを脱がざるを得ないと思った作品だった。
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2011年03月31日

津波の怖さを活字で知る

「ローカルバスの終点へ」 宮脇俊三 著 新書y 読了。

本を読むとき、いつ読み始め、いつ読み終わったか程度のメモは書くようになった。
そのメモを読むと、2月28日に読み始め、3月6日に読み終わっている。
当初の目論見では、3月11日にブログにアップしようと思っていた。

鉄道紀行の大家であった宮脇俊三さんのバス紀行。
二十三の路線バスの終点を訪ねている。
基準は四点。
 一、乗車時間は一時間以上。
 二、行先が有名観光地でないこと。
 三、行楽や登山シーズンのみ運転の路線は除く。
 四、私(著者)にとって未知の路線・終点であること。
こういった基準であるから、行先は山奥であったり、陸の孤島といってもいい海沿いの鄙びた集落だったり。

バス紀行が行われたのが1987年から1988年にかけて。
過疎化が進んだ現在では、行けなくなってしまったところも多い、残念だ、なんてことをアップしようと思っていた、3月11日までは。
今は岩手県宮古市の川代について書こうと考えを変えた。
宮古市で推測できると思うが、川代は海に面した集落で、このバス紀行では川代以外にも海に面した集落をいくつか訪れている。
その訪問で伝わってくるのが津波の恐ろしさだ。

重茂集落では、漁協など公共施設が揃っている場所は標高80メートルの高みにある。
昭和8年の大津波で、海のそばの施設が流失し、現在の場所に移ったという。
また姉吉という集落では、こんな碑があると書かれている。
「高き住居は児孫の和楽
 想へ惨禍の大津波
 此処より下に家を建てるな」
今回の震災で大きな被害があったのではないかと心を痛める一方で、こういった碑があるということは津波から立ち直った証でもあるのではないかと希望も持つ。
まだそれどころではない段階なのかもしれないが、少しでも早く復興することをお祈りしている。
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2011年03月11日

偉大な芸術家も愛用した

『モレスキン「伝説のノート」活用術 記録・発想・個性を刺激する75の使い方」 堀正岳・中牟田洋子 著 ダイヤモンド社 読了。

昨年の秋、大書店のビジネス書売り場で、1冊の本とその周りにいろんな種類のノートが置かれるという光景をよく目にした。
その1冊の本とは、この『モレスキン「伝説のノート」活用術」であり、その周りにあったのが実物のモレスキンノートだ。
私は本を買ったはいいが、積ん読状態のままにしてしまっていた。
2月に一念発起して、読むことにした。
といっても、決して敷居の高い本ではない。

なぜ「伝説のノート」と呼ばれているのか。
それはピカソやゴッホといった画家、あるいはヘミングウェイといった作家が愛用していたから。
芸術作品が生まれるきっかけがこのノートにあったのだ。

モレスキンノートの特徴として、@ゴムバンドが着いている A基本はハードカバー B丸みを帯び
た角 C中性紙を使用 Dしおりが着いている Eクロス地で補強されたカードボード製の拡張ポケットが着いている があげられる。
また全体的に見れば自由度の高いノートで、サイズもXS(6.5×10.5センチ)からA3(29.7×42センチ)まである。
レイアウトもルールドノートブック(横罫)、スクエアードノートブック(方眼)、プレーンノートブック(無地)の3種が基本だが、バリエーションも多い。

本を読んでいるうちに無性にこのノートを使いたくなり、最初の一冊としてお勧めとなっていた、ポケットサイズのルールドノートブックを購入、読み始めた次の日からノートブックへの記入を始めた。
何を書くかは、本当にその人任せ、何でもいい。
ただ書かれていることが積み重なってくると、結びつきが出てくる、意味が出てくるもののようだ。

参考までに私の書いた1ページ目はこんな感じ。
「とりあえず書き始める 確かに下敷きがあるような感じで文字が書ける これはうれしい JFLの日程本日発表なし 明日に期待 日本鉄道旅行歴史地図帳10 ブックファースト吉祥寺で購入 etc.」

今のところ16日間連続でノートをつけている。
3日坊主が当たり前の私にしては快挙だ。
これもノートの発する磁力のようなもののおかげだろうか。
あるいは、このノート1890円で買ったので、無駄にしたくないという貧乏性の一面が働いているのか。
ノートに書き込むようになって、若干行動様式が変わったという自覚がある。
はっきりと良い方向に変わったと周りから認識されるように、これからも毎日ノートに書き込みをしたいと思う。
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2011年03月04日

骨になって弟が還る物語

「愛おしい骨」 キャロル・オコンネル著 務台夏子 訳 創元推理文庫 読了。

読了、と書いたがこの言葉が正しいかわからない。
というのは、一応最後まで読んだが、内容をよく理解できずにいるからだ。
途中では、目は活字を追っているのだが、何が書かれているかがさっぱり頭に入らないところもあった。
途中がそれでは、その後はさらにわからなくなる道理。

ということで、最後まで読んだ後、頭に入らなかった理由を考えてみた。
一つ思い浮かんだのが、この前に読んだ翻訳小説「フランキー・マシーンの冬」と関係があるのではないかということ。
カリフォルニア州が舞台という共通点があるものの、翻訳のトーンが対照的だった。
かたや疾走感が前面にあり、すらすらページがめくれて行く。
もう一方は、何もかもが静かに流れていく。
最後までリズムに乗れなかった。

あらすじはというと、20年ぶりに故郷に帰ってきた主人公オーレン、彼は17歳のとき、15歳の弟と二人で森へ行き、一人で帰ってきた。
そして今、弟の骨が一つずつ家に置かれていく。
何が起こっているのか?
内容を理解していない人間が、解説を参考に書いているので、これだけを読ませられても困るかもしれない。
申し訳ないとは思う。

まあ、たまにはこういう小説に出会うこともあると、気持ちを切り替えて読書を続けたいと思う。
今回は、骨が折れた、歯が立たなかったという本の話でした。
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2011年02月28日

駒で始まり、私で終わる

「女流棋士のONとOFF」 高橋和 著 中公新書ラクレ 読了。

昨年は寝坊して出なかったが、私は年に一度、健康保険組合主催の将棋大会に参加している。
立会いには佐伯昌優九段とその門下の棋士が来ていただいていて、その門下の棋士の一人にこの本の著者の高橋和(和と書いてやまとと読む)女流棋士がいる。
このブログでも書いたが、話しかけられたり、対局の秒読みをやっていただいたこともある。
その彼女が今は何を考えているのか、あるいは引退する前はどうだったのか、そのあたりをありのままに記したのがこの本だ。

全部で六章からなり、その章はさらに3つの項目からできている。
 駒の章 「金と銀」 「四間飛車」 「歩」
 手の章 「次の一手」 「千日手」 「悪手」
 運の章 「出会い」 「好不調」 「縁起」
 人の章 「礼儀」 「対戦相手」 「感想戦」
 力の章 「体力・知力」 「駒落ち」 「直観力」
 私の章 「道具」 「詰将棋」 「異種格闘技」
「はじめに」や「おわりに」から推測すると、かなり執筆に苦労したようだ。
本としての流れがあまり感じられず、一つ一つの項目を必死になって仕上げていったような姿が目に浮かぶ。

私が一番興味深く読んだのは「対戦相手」の中で、夫である大崎善生に惹かれたのはここだったのかとわかるところ。
当時の彼女は自律神経失調症で苦しんでいたが、立ち直るきっかけが大崎善生の存在だった。
そういえば、もう10年位前の将棋大会で、高橋棋士が急遽来れなくなったという年があった。
もしかしたら自律神経失調症で苦しんでいたときなのかも知れないと、本を読んでいて思った。

全体を読み通して、高橋和も今では母親なんだな、母親目線での感想が多いな、と思った。
将棋の普及と母親業と、さらに作家の妻という立ち位置は難しいと思うが、彼女の明るさとバイタリティならこなしていけそうだ。
また将棋大会でお会いできたら、本を読みましたよと声を掛けてみようか。
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2011年02月25日

読者への挑戦が三度あり

「双頭の悪魔」 有栖川有栖 著 創元推理文庫 読了。

英都大学推理研究会の部長江神二郎をシリーズキャラクターとした本格ミステリシリーズの三作目。
一作目、二作目はかなり昔に読んだ覚えがあるが、もう内容は忘れてしまった。
四作目が文庫化されたので、あわてて三作目を読み始めた次第。
なんか最近こういった理由で読み始めるのが多いような気がする。

江神二郎シリーズと書いたが、ワトソン役で同大学推理研の有栖川有栖という著者と同名の登場人物が出てくる。
この点からは、著者の敬愛するエラリー・クイーンを強く意識していることが感じられる。
話は脱線するが、やはり登場人物に有馬麻里亜という上から読んでも下から読んでもと登場人物が出てくる。
この作者、どこまでがまじめなのかよくわからないところがある。
岡嶋二人ならまだわかるが。

エラリー・クイーンといえば、この小説でも読者への挑戦がある。
それも三度も。
だいたい読者への挑戦は一度きりが多い。
三度とは、読んでいない人からすれば多すぎると思われるかもしれないが、どれもが納得の論理展開であり、三度の必然性も感じられ、作者の目論見は成功裡に終わっているといっていいだろう。

舞台は高知県の山奥、芸術家たちが暮らす村とその隣村の大雑把に言って二箇所。
その二つの村で、あわせて三人が殺される。
論理を推し進める章と、試行錯誤を繰り返す章とが交互にあり、それぞれを際立たせている。

というわけで小説の完成度は高く、面白く読めた。
だが、なにか物足りない気がする。
あるいは私の好みと若干ずれているということなのか。
かくなるうえは、シリーズ四作目も読んで、もう一度考え直したいと思う。

こうやって、また読みたい本は増えていくのだった。
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2011年02月23日

目立てば良い駅名なのか

「消えた駅名 −駅名改称の裏に隠された謎と秘密」 今尾恵介 著 講談社+α文庫 読了。

東武伊勢崎線の業平橋駅が東京スカイツリーの開業にあわせて、2012年にとうきょうスカイツリー駅に改称されるという。
少しでも集客に繋がるよう駅名を替えるのは昔からあった。
同じ東武伊勢崎線でいえば、杉戸駅も動物公園の開業にあわせて東武動物公園駅となった。
だが、改称されるのにはほかにもいくつかのパターンがある。
この本は、駅名改称に至った経緯を丹念に追った力作である。

北は北海道、南は鹿児島まで約250の駅が取り上げられている。
個人的に絶対に載っていてほしいと思った駅がしっかりと載っていたのがうれしい。
その駅は長野県の中軽井沢駅、旧沓掛駅だ。
沓掛という駅名を宮脇俊三さんは好きだった。
紀行文だったか、エッセイの中だったか正確なところは覚えていないが、沓掛駅が中軽井沢駅に改称されたことを憤慨していた。
もともとの地名を尊重せず、ブランド地名にあやかろうとした姿勢に我慢がならなかったようだ。
こういった観光地にあやかって駅名が変わった例は数多い。

このパターンとは別に第二次大戦が駅名の改称に影響を及ぼした例も数多いようで、興味深かった。
大きく分けて二つのパターンがあり、一つは「防諜方」と呼ばれている。
横須賀軍港駅が横須賀汐留駅を経て汐入へ、通信学校駅が相模大野駅へ。
今さら遅いような気もするが、軍の施設の位置を悟られないための駅名変更だ。
もう一つは、綱島温泉駅が綱島駅に、鈴蘭ダンスホール前駅が小部西口駅を経て鈴蘭台西口駅になったように、非常時に温泉だのダンスホールとは何事かと文句を付けられて改称されたパターン。
やっぱり鉄道は軍事と切っても切り離せない関係があったことを感じる。

このほかにも市町村合併等で地名が変わったことにより駅名も改称された例も多い。
偶然といっていいのか、清水駅は旧江尻駅だし、磐田駅も旧中泉駅だった。

著者はベストセラーとなった「日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線」の監修者であり、鉄道以上に地図に造詣が深いことで知られている。
1ページに一駅の説明という制約の中、面白い読み物にしているのはさすがというべきだろう。
肩のこらない文章にもかかわらず、観光地にあやかろうという安易な駅名変更にはしっかりと釘をさす。
鉄道ファンだけではなく、地名を大事にしたいと考えている人も読んでみてほしい一冊だ。
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冬を乗り切り春が来るか

「フランキー・マシーンの冬」 ドン・ウィンズロウ著 東江一紀 訳 角川文庫 読了。

ドン・ウィンズロウは好きな作家だ。
昨年の9月に新刊が出たので、すぐに買うつもりだった。
だが書店でページを開いたら、行間のすき間がやけに目立つ。
ページ数の割りに値段も高い。
さらに無理やり上下本にしているようにも感じられた。
これは外れ本ではないかと思い、見送った。
ところが年末のベストミステリといったランキングを見ると、しっかりと入っている。
というわけであわてて購入し読むことにした。

主人公はサンディエゴで複数の地道なビジネスを営む62歳のフランク・マシアーノ。
実は彼はかつて“フランキー・マシーン”と呼ばれた、マフィアの凄腕の殺し屋だった。
いつものよう始まり、いつものように過ぎ去るはずだった冬のある日、突然平和な日々に終止符が打たれる。
そこからフランキーの逃亡の、さらに真実を暴く探求の旅が始まる。
人生の冬を迎えたフランキーは、このまま消されてしまうのか、それとも再度の春が巡ってくるのか。

前作「犬の力」が著者渾身の大作だったが、今回は少しだけ肩の力を抜いて切れで勝負の作品になっている。
ハードボイルドの文法もきっちり守っているし。
またフランク(フランキー)からフランク・シナトラをイメージできる。
訳者あとがきを見ると、フランク・シナトラの出演した映画を見ていると、この作品をもっと楽しめるようだ。

やはりウィンズトウと訳者の東江一紀のコンビに外れはないと考えるべきだった。
あと三作、角川文庫から出ることが決まっている。
次の新作からは、躊躇なく買うことにしたい。
版権の高騰といった理由があるのかもしれないが、できれば1ページあたりの行数をちょっと増やして、あまり見た目のスカスカ感のない本を読ませてもらいたいとも思う。
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2011年02月20日

深くかつ静かに胸に迫る

「胸の中にて鳴る音あり」 上原隆 著 文春文庫 読了。

一時期、上原隆の本が立て続けに文庫で出た時期があったと記憶している。
一種のブームだったと呼んでよかったと思う。
「友がみな我よりえらく見える日は」「喜びは悲しみのあとに」「雨の日と月曜日は」など。
どの本も読んだ。
題名からも感じられるように、読み終わると、それでも前に進んで行こうという気になるコラムが多かった。
最近はすっかりその存在を忘れていたが、今年になって文庫の新刊が出た。
それがこの「胸の中にて鳴る音あり」。
この題名は石川啄木の「悲しき玩具」に所収されている短歌から取られている。
参考までに「胸の中にて」は「むねのうちにて」と読む。

今回の作品も上原隆の筆致らしく淡々と人物が語られていく。
過剰にドラマチックにしないことで、かえって人物を深いところまで際立たせるように思う。

全部で21篇が収録されているが、その中にエスパルスにも所属したことのある松原良香を取り上げたものがある。
『ワールドカップから遠く離れて』がそれだ。
時は2006年、ちょうど日本対オーストラリアの試合の直前に取材されている。
松原良香は、ちょうどその10年前のアトランタオリンピックで、目標を見失ってしまったとのこと。
だが、取材時の松原良香は、コーチとしてサッカースクールで教えるという新しい目標ができているようで、今さらながらホッとする。
あとで調べたら現在はS級ライセンスを取得している。
さらにサッカースクールと学習院中等科の両方でコーチをしていて、充実した日々を送っているようだ。

胸の中には、さびしげに鳴る音だけではなく、希望もあるのだと思う。
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2011年02月18日

つき合い方は、37人37色

「本は、これから」 池澤夏樹 編 岩波新書 読了。

書店員や書き手、図書館員、編集者など、本に関係する37人による、これからの本のあり方をそれぞれが述べた本。
この時期(初版刊行は昨年の11月)に刊行されたということは、当然電子出版の登場が従来の活字本にどう影響を及ぼすのかを予測しての内容となっている。

編者は芥川賞作家で、小説だけでなく評論の分野でも名声を得ている。
いま、この時期に本の将来を語る上で編者にふさわしい一人といえるだろう。
ただ、編者は1945年生まれ、どうしても従来の活字文化の色が濃い人選になってしまったように思う。
だから、活字の本はなくならないといった内容のエッセイが多い。
中には、レコードやCDが売れなくなったように、本も劇的に衰退するに違いないといったエッセイがあってもいいかなと思った。
書くほうも、編者だけでなく出版元の岩波書店に遠慮があったのかもしれない。

エッセイの並びが、冒頭のコミックエッセイを除いて、五十音順となっているところが面白い。
またテレビでおなじみのジャーナリスト池上彰氏のエッセイが、面白く読めた。
私はこの人のことを誤解していたのかもしれないと思った。

そのほかではやはり書店員や書店の経営者のエッセイが胸に迫った。
何人かは、先方は覚えていないだろうが、直接お会いしたこともある方々だ。

これから数年後に同じテーマで本が出るとしたら、どういう内容のエッセイが多いだろうか。
それはまた編者の人選からして替わってくるかもしれない。
編者による序文によれば、あと2年もすれば韓国とシンガポールの教科書は電子書籍になるという。
そうなれば日本に与える変化も少なくないだろう。

それでも私は本に対するフェティシズムを取り去れないまま、従来の活字本を読んでいそうな気がする。
ラベル:新書 本
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2011年02月10日

家族の絆について考える

「赤い指」 東野圭吾 著 講談社文庫 読了。

加賀恭一郎シリーズの7作目。
今年の1月3日にTBSでドラマ化されたので、それでストーリーを知っている方も多いだろう。
私はドラマはめったに見ないので、3日もやはり見なかった。
噂では、原作にかなり忠実にドラマ化されたと聞いている。

主人公加賀の父の入院のシーンから物語は始まる。
この小説で描きたかったのは家族だということを象徴する場面のようにあとで思った。
親の看護あるいは介護は、当たり前だが、避けてはいけない、目を背けたままではいけないのだろうなと痛感した。
私の読んだ文庫本の腰巻には「どこの家でも起こりうること。だけどそれは我が家じゃないと思っていた。」とある。
深いなあと思う。

今回の作品は、だれが犯人かを推理するものではない。
事件の犯人は比較的早く提示されている。
加賀が、いかに事件の真相に迫るか、さらに真相がわかった後でどう処理をするのか、その部分が一番の読みどころといえるだろう。

事件解決の後、エピローグともいえるシーンがある。
そこで悲しい出来事が起こったはずなのに、逆に安堵の気持ちを持った。
読み終わって、今のうちに親孝行しておかなければと思った。
下手な説教を聞くより、こういった小説のほうが強く訴えるものがあると感じた一冊だった。
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2011年02月07日

鉄学の道もまた鉄道なり

『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』 原武史 著 新潮文庫 読了。

著者は日本政治思想史が専門の大学教授、鉄道趣味の専門家(そういう職業があるのかは疑問だが)ではない。
「はじめに」で、『専門知識ではいわゆるマニアに到底かなわない。そう思っていても、私もまたマニアの一人と目されているのを認めないわけではない。』とある。
ここの部分、よくわかる気がする。
私自身も鉄道が好きだが、マニアと呼ばれるのには本物のマニアの方に対して失礼な気がするし、かといって非鉄の方からは十分マニアだよと思われているような気がしてならない。

もともとこの本は、「NHK教育テレビのシリーズ番組『知るを楽しむ』のなかで、著者の原武史先生が講師をされた「鉄道から見える日本」(全八回)の内容をテキスト化した「NHK知る楽 探求 この世界 2009年6・7月号」を文庫化したもの(宮部みゆきによる解説より)」。
単純に文庫化したわけではなく、加筆されている。
テキストとして刊行されたものを、違和感のない文庫本に仕立てたところに著者と編集者の業(わざ)を感じた。

全八回がほぼそのまま章になっているようだ。
各章を列記する。
 第一章 鉄道紀行文学の巨人たち
 第二章 沿線が生んだ思想
 第三章 鉄道に乗る天皇
 第四章 西の阪急、東の東急
 第五章 私鉄沿線に現れた住宅
 第六章 都電が消えた日
 第七章 新宿駅1968・1974
 第八章 乗客たちの反乱
この中で、著者ならではと強く思ったのが第三章。
戦前まで、もっとも多く鉄道を利用した人物の一人に天皇がいると指摘している。
この章は著者の研究対象とも重なって、一番テキストらしいと思って読み進めた。

確かにこの本は鉄道について考えさせられる「鉄学」の名にふさわしい一冊だ。
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2011年02月05日

次回作はまた16年後?

私は普段本を読むときは書店のカバーを付けない。
他人に見せられない恥ずかしい本は読んでいないという自負があるからだ。
だが、このコミックを外で読む(見る)のは恥ずかしい。
そのコミックとは「江口寿史のお蔵出し 夜用スーパー」。
表紙がナースキャップだけを身に付けた女性看護師のイラスト。
帯には「シモネタ、パロディ、最新作もすべて収録!」とある。

1994年には「江口寿史のお蔵出し」というコミックを私は購入している。
あれから16年、今度は帯の文句を読んで、もっとシモネタに走った本だと読む前は思っていた。
だが思っていたよりもシモネタが少なく、ちょっとがっかりしているというのが本音のところ。

江口寿史といえば「ストップ!!ひばりくん!」が一番有名だろう。
個人的にはそんなに好きなほうではない。
私が最初に読んだ江口作品は、赤塚賞準入選作の「8時半の決闘」だ。
どうでもいいことだが、アジアカップでの松木安太郎の解説(応援?)を聞いているとき、この「8時半の決闘」の解説者犬井犬太郎を連想した。
さらに「8時半の決闘」の延長線上の作品に「すすめ!!パイレーツ」がある。
プロ野球チーム千葉パイレーツの選手が主人公のプロ野球ギャグマンガだ。
ロッテ球団が千葉に移転するとき、チーム名はパイレーツになるのではないか、そうなったらキャラクターデザインを江口寿史に依頼したらどうかと本気で思っていた。

昨年12月に刊行されたばかりだが、すぐ増刷がかかったようで、私が購入したのも第2刷だ。
やはり江口寿史の作品を待っている読者は多いのだなと思った。

しかし元アイドルと結婚していて「讃岐うどんツアー のこり火篇」の作品解説はないな。
ただうらやましいだけだけど。
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ボッシュはどこに向かう

「シティ・オブ・ボーンズ」 マイクル・コナリー著 古沢嘉通 訳 早川書房 読了。

読み終わって奥付けを見た。
2002年12月20日 初版印刷とある。
本を購入してから読み始めるまでほぼ8年かかっているようだ。
とっくの昔に文庫化されているにもかかわらず、今さら単行本を読み終える。
何をしてるんだ、俺は、という気持ちになる。

ロサンジェルス警察の刑事ハリー・ボッシュを主人公にしたシリーズものの第8弾。
内容とは関係ない話をすると、この前までは扶桑社から刊行されていた。
今回早川書房となり、多少シリーズの順番は入れ替わるが、これ以降は講談社文庫からの刊行となる。
下種の勘繰りをしてしまうと、それだけ版権が上がっていて、払える出版社に版権が移動していると思える。
版権が上がっているということは、母国アメリカでの人気が高まるばかりということが推測できる。

事件の始まりは元日。
この小説を読み始めたのが1月中旬で、それだけで何か物語に入り込めそうな気がしていた。
ハリウッドの丘陵地帯の奥深くで人骨が発見される。
約20年前の人骨と鑑定の結果は告げていた。
その情報を元に操作を進めるボッシュ。
その捜査方法には強引さが目立ち、市警本部のお偉方と対立するのはいつもの通り。
それでも信念を曲げずに真実にたどり着く。

実は一番驚いたのは最後のシーン。
これからハリー・ボッシュシリーズはどこに向かうのか。
次の作品が非常に気になるエンディングだった。
シリーズの転機として重要な意味を持つ作品といえそうだ。
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2011年02月03日

今 拓くべきは「光の道」か

『決闘 ネット「光の道」革命』 孫正義vs.佐々木俊尚 文春新書 読了。

いろんな意味で、時代はどんどん進んでいるなと思わされた。
まずどんな本かと説明すると、2010年5月13日にユーストリーム及びニコニコ動画で配信された対談を加筆・修正したもの。
さらに対談のきっかけは、孫正義氏の「光の道」構想への訴えに佐々木俊尚氏が自身のブログで反論し、さらに二人がツイッター上で話を進めて討論に至ったというもの。
ユーストリームやニコニコ動画も今の時代を感じさせるし、討論に至る過程も今を感じさせる。

ところで昨年末からソフトバンクモバイルのCMで、謎の言葉として「光の道」が出てくる。
そもそも「光の道」とは、2010年3月に当時の原口総務大臣が打ち出した構想で、ざっくり言って2015年までにブロードバンドを全世帯に普及させるというもの。
ソフトバンク率いる孫氏は当然前面賛成。
一方佐々木氏はジャーナリストの視点から、最優先させるべきことは他にあるという立場。
そこでオープンな場所で話し合うこととなった。

本を読み終えて、決闘はどちらが勝ったかと問われれば孫氏、と答える。
乱暴な言い方をすれば、攻める孫氏に対して守る佐々木氏、孫氏有利は当然という気がしていた。
だが、それだからといって私が「光の道」構想を積極的に進めるべきだとは思わなかった。

対談とは別に、佐々木氏が「ソフトバンクは“モンゴル帝国軍”である」という一章を加筆している。
なるほど的を射ているなと思った。
どうしても、ソフトバンクが儲けたいから「光の道」構想に賛成なんだろうなという方向に考えが行ってしまう。
もともと私が孫氏に対して、あまりいいイメージを持っていないということもあるかもしれない。

総務大臣が代わって、その後「光の道」はあまり話しに出なくなった気がする。
そちらに予算は割いている場合ではないということか。
それでも今後の通信のあり方について、方向性であったり可能性であったりいろいろと提示されていて興味深く読めた。
こういった対談が本にまとめられる時代なんだなと思った。
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2011年01月31日

これが「最後」に寂しさが

「映画が目にしみる 増補完全版」 小林信彦 著 文春文庫 読了。

中日新聞夕刊に月二回のペースで連載していたエンターテインメント時評「小林信彦のコラム」の中から、ほぼ映画のものだけに絞ってまとめたもの。
時期は1999年から2007年初めまで。
全部で171本、収録されている。

このような本を読むのだから私は映画が好きかと問われれば、いやそんなことはないと答えるしかない。
定かな記憶ではないが、おそらく「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が映画館で見た最後の映画ではないか。
DVDだと「クレージーキャッツ 無責任ボックス」の中の作品をたまに見ることはあるけど。
ではなぜこの本を読んだのか。
それは、小林信彦のコラムのファンだからであり、さらに本の帯に『小林信彦 最後の映画コラム集』とあったので、さらに強く読もうと思ったのだ。

映画のコラムは、この作品知ってるとか、この俳優知ってるレベル、いわば門外漢の気楽さで読み進めた。
中には映画ではなくテレビドラマが紹介されている回もあった。
それがNHKのドラマ「クライマーズ・ハイ」。
某Z氏も絶賛していたのを思い出す(某を入れる意味がないか)。

そのほか、コラムを読んでいてさすがだなと思ったのは、アイドル映画に対して色眼鏡をかけて見ていないこと。
私なんかはアイドルが主役だと、それだけで一段低い作品のように思ってしまうのだが、そういうのはよくないなと反省させられる。
また、若手女優に詳しいところにも、まだまだ著者も若いなあと思わされる。
実際はもう80歳近いけれど。

DVD情報が付いていて、約700本の作品名インデックスも付いている。
私が言うと説得力はまったくないが、映画好きなら目を通しておきたい一冊ではないかと思う。
posted by s-crew at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

人気教師 実はサイコパス

「悪の教典」 貴志祐介 著 文藝春秋 読了。

上下巻合わせて850ページに達しようかという大作。
読む前は、読み終わるまで苦労するかと思っていたが、あまりの面白さにどんどんページが進み、予想より早く読み終えることが出来た。

どんな小説かと一言で言うなら、サイコパスの教師が主人公の、高校を舞台とした悪漢小説。
この教師の主人公像が際立っているのが小説の面白さにダイレクトに繋がっている。
共感能力がないので悪事も平気で行う。
一つの悪事がばれないように、それが積もり積もって、『木の葉は森に隠せ』。
第九章、第十章がその場面だが、主人公の行動には戦慄を覚える。

また細かいところまで書き込んでいるところも面白さに繋がっている。
高校は町田にあるという設定だが、高校生の中にゼルビアサポがいるというのも芸が細かい。
このことに限らず、本当に細かいところまでよく調べていると思う。
小説なのだから必ずしもすべてが正しい必要はない。
ただ正しいと思わせる細かさは必要。
この小説はそのハードルをらくらくと越えている。

貴志祐介の長篇を読むたびに、よく調べているなと思い、また新しいチャンレンジをしていると感心する。
ちょうど長篇小説が文庫になったばかりだ。
この長篇はSFの要素が強いらしい。
近いうちに読んでみたい。
読んでみたい本がたまっていくばかりだなあ。
posted by s-crew at 23:09| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

なりたい気持ちはあるが

「いつも先送りするあなたがすぐやる人になる50の方法」 佐々木正悟 著 中経出版 読了。

先送り癖がいっこうに治らない。
我ながら呆れたもんだと思うことが何度もある。
この本のことをブログにアップするのも先送りしていた。
読んだけれど実行できていなくて格好悪いなと思っていたからだ。

この本を読んだのは、本気で先送り癖を治そうと思ったからではない。
著者の本はほとんど読んでいるのでその流れからだ。
それでもヒントが見つけられればという気持ちは持っていたように思う。

アップしないうちに時は流れ、すっかり内容も忘れてしまった。
そこで、「はじめに」を読み返してみる。
最後に『本を読んだり、情報を仕入れたりすることには長けてるのに「動けない」ことがネックになっているあなたを変える一冊となれば、幸いです。』とある。
半分は「あなた」に該当しているなと自覚が生じた。
あらためて、もう一度読んでみようかと思う。
よし、明日から読み直そう。
あれ、これもやはり先送りなのだろうか。
根の深い問題だ。
posted by s-crew at 23:38| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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