2008年12月07日

大津宿〜京の三条大橋

いよいよ東海道五十三次御徒紀行も今回で最終回、感慨深いものがある。
まずは歩きだそう。

朝9時前、JR大津駅に降り立つ。
街道に戻って京に向かって歩き始める。

程なく逢坂の関の石碑。
ここから、これから向かう京に思いを馳せる。


20081207逢坂山関所蹟.jpg
逢坂関址

もっときつい傾斜があるかと覚悟していたが、そんな坂もなく、街道は京都市山科区へはいる。

二度ほど道を間違えたもののなんとかルートをたどって蹴上まで来る。
あとは太い街道の上を歩くのみ。

浄水場を左に見てミヤコホテルの前を過ぎて左に曲がれば後の道筋はほぼ一直線。
観光客もちらほら見かけるようになった。

地下鉄東山駅の上辺りで、出迎えてくれる人に、予定より早く着きそうと連絡。

急にバスや観光客が増えた印象がする。
京阪電鉄の三条ターミナルの前まで来れば、三条大橋はもう目と鼻の先。

橋はもっと大きいかと思ったが、意外と小さく、こんなものだっけとひとりごちる。
橋を渡る。
唐突に頭の中に「約束の橋」のメロディーが浮かぶ。
渡りきり弥次喜多像を記念撮影。

20081207三条大橋.jpg
三条大橋をバックに弥次喜多像を

出迎えてくれた人のリクエストで、私が弥次喜多像をバックにこれまた記念撮影。
これは昨日の矢島の得点を暗示していたかとこれまた唐突に思う。

歩き終わった。
出迎えてくれた人もいて、あっけない気がしたものの、自分の中では感動的なフィナーレだった。
出迎えてくれた人、ありがとう。
出迎えに来てもらったのにお会いできなかった人、ごめんなさい。
私の時間の読み間違いが原因なんです。

2001年から始めて、やっと完結することができた。
励ましてくださった皆さん、関心を持ってくださった皆さん、ありがとう。
やり遂げたことでひとつステップアップした気分になっている。
時間があればまた振り返ってみたいが今日のところはこの辺で。

三条大橋の上空は、青く澄んでいた。
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2008年11月04日

草津宿〜大津宿

心の傷を癒しに草津へ向かった。
といっても温泉に浸かりにいったのではない。
草津は草津でも滋賀県の草津市のほう。
東海道の五十二番目の宿場であった草津だ。

2008年11月3日文化の日の午前9時、私は大津の宿へ向かって東海道御徒紀行を再開した。
草津の宿の周辺は、前回のときも感じたのだが、宿場町の雰囲気が残っていて歩いて気持ちがよかった。
少しずつではあるが、癒されている気がした。

国道1号線を越え、少し行くと地名表示が瀬田に、おお大津市に入ったんだ。
ここから道がわかりにくくなると予想され心配していたのだが、要所要所で「旧東海道」の案内表示板があり、迷わずにすむ。

そして、世に名高い『瀬田の唐橋』を渡る。

081103瀬田唐橋.jpg
瀬田の唐橋

天気がいいと、ここから見る琵琶湖畔は美しいとのことだが、あいにくの曇天、景色がいいとは言えなかった、残念。

橋を渡ると京阪石山坂本線(いしやまさかもとせん)とつかず離れずに進むことになる。

滋賀県に入って感じていたことだが、寺や神社が多い。
道中に義仲寺(ぎちゅうじ)があった。
木曽義仲さらに松尾芭蕉の墓がある。
来年に向けてお参りしておけばよかったかと、さらに写真も撮っておけばよかったかと後悔する。

大津の宿の辺りに入るが、あまりそれと感じさせるものがない。
札の辻跡も小さく目立たないし、本陣跡もとうとう見つけられなかった。
というわけで、いつもなら写真の2枚並べるのだが、今回は1枚のみ。

ともかくこれで五十三番目の宿まで来たことになる。
残すは、大津宿から京の三条大橋までの行程のみとなった。
五条大橋なら弁慶が待ち構えているところだが、三条大橋では何が待っているのだろうか。
何かが起こる12月最初の日曜日。
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2008年10月13日

甲西駅〜石部宿〜草津宿

東海道御徒紀行を再開する。
前回は雨のため宿場まで達することができず、道半ば、甲西駅でひとまず終了となった。
そのため今回はその甲西駅からスタートした。

まずは東海道へ出て、西へ向かう。
道はほとんど一本道で迷うところがなかった。
わりとすぐに石部宿の案内を見かける。
京都から江戸方面に向かう旅人は、初日はこの石部宿に泊まることが多かったそうで、街道沿いに長く宿の跡らしきものが見られる。
また寺も多いのが目立つ。

081013石部宿2.jpg
石部宿西口跡

石部の宿を出て、右手にチラッと石部駅が見えた後、街道はJR草津線と平行する。
なんか安心してしまう私。

名神高速の下をくぐり、しばらく歩くと六地蔵という地区になる。
ここは石部宿と草津宿の中間に当たり、間の宿として栄えたとのこと。
町並みも由緒正しいように感じられる。

さらに西へ。
ふと右手を見ると新幹線の高架橋が。
するとまず上りの、ついで下りの新幹線が相次いで通る。
まるで私が来るのを待っていたかのように。
勝手な思いこみとわかっていても少し元気が出る。

その新幹線の高架橋の下をくぐり、国道1号線を越し、草津川を渡ると草津の宿。
中仙道との合流地点まで歩く。

081013草津追分.jpg
草津の追分道標

今日の行程はここまで。
残す宿は大津のみ。
そこを過ぎればゴールの京の三条大橋だ。
12月頭のフィナーレに向かって、着実に歩んでいる。
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2008年09月21日

水口宿〜甲西駅

朝起きてテレビをつけたら滋賀県に大雨洪水警報とテロップが出ていた。
よっぽど止めようかと思ったが、移動している間に止むんじゃなかろうかと甘い見通しで東海道御徒紀行を決行することにした。

水口石橋駅まで移動、雨が降った形跡はあるものの、もう大丈夫だろうと思い御徒紀行を再開する。
水口宿では街道が3本に分かれている。
それだけ栄えた宿場だったことが言えるし、実際歩いていてもそうだっただろうと想像できた。
まだ歩いていない2本をこの日歩き、改めて京を目指して次の宿へと向かうことにした。

しばらく歩くと横田の渡し跡に到達。
でかい常夜灯を写真に納める。
このころからパラパラと雨が。
でもまだ本降りではなく、三雲駅で今日のところは止めておくという考えも頭をよぎったが、ええい行っちゃえ、と小雨を無視して歩き続けることにした。

080921横田の渡.jpg
横田の渡の常夜灯、けっこうでかい

三雲駅前を過ぎしばらくすると雨足が強くなってきた。
しくじったかなあと思いつつ、なるようにしかならんと先を急ぐ。

雷の音もして甲西駅のそばでギブアップ。
本当は石部宿まで歩く予定だったのだが、今回の行程はここまでとする。
予定よりも一駅分歩ききれなかったことになる。

駅に着いたらますます雨足が強くなり、止めて正解だったと胸をなで下ろした。
駅前のロータリーのところに東海道の道案内があり、わかりづらいかもしれないが、証拠写真という意味合いで撮っておいた。
080921甲西駅.jpg
甲西駅南口の案内図

雨のために予定が狂ったが、次回は甲西駅周辺から歩き始め、石部宿を通って、草津宿まで歩くことにしたい。
宿場の数も五十次を越して、五十三次も残りわずか。
歩く前の日は、これからテルテル坊主でもぶら下げて寝るとしようかな。
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2008年08月15日

土山宿〜水口宿

国道1号線から一本わき道に入り、坂上田村麻呂を祭った田村神社の前を抜けると土山宿の入り口に。

080815土山宿.jpg

旧○○屋跡、といった石碑があちこちの家の前にある。
三重県もそうだったが、滋賀県に入ってからも東海道の町並みを大事にしよう、歩行者が道を間違えないようにしようという意識が見られて、私としてはとてもうれしい。

国道1号線とは着かず離れずで東海道は行く。
一部国道1号線と同じところがあるが、クルマを気にしなくて良い分、別の道のほうがいい。
しかし行政地区名がなかなか変わらない。
現在は甲賀市土山、以前は土山町。
行政名が変わると進んでいると実感できるのだが、変わらないと実感できず、気持ちの問題だが、疲労感が増すばかりだ。

まだ土山かよ、と嫌気が差し始めたころやっと旧水口町に入る。
ここまでくれば今日の行程は先が見える。
日は大きく西に傾いている。
なんとか日が暮れる前に目的地に着きそうだ。
水口宿の東の入り口が見えた。

080815水口宿東見附.jpg

だが、その宿場の入口から駅まではまだまだあることをそのときは思わなかった。
そして駅で30分以上も待たされることも。
近江鉄道の水口石橋駅発の電車は出ていったばかりだった。

今日は峠越えがあり、20キロ以上歩いたので、疲労感は大きい。
また鈴鹿峠を除けばあまり大きな見所もなく、淡々と歩いた区間が長かった。
まあこんな日もあるさ。
それよりこれで、12月に京の三条大橋到着が見えてきた。
前へ歩き続けていこうと思う。
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坂下宿〜土山宿

2週間ぶりとあまり間隔をあけずに東海道御徒紀行を再開した。
理由はある。
鈴鹿峠を比較的休みの取りやすい時期に越えてしまいたいという気持:ちがあったからだ。
特に今回のルートは日が沈むのが遅いうちに歩きたかった。
前回は終バスが12時50分で、それまでに歩き終わらなければならなかったが、今回は始バスが坂下着12時47分と歩き始める時間が遅くならざるを得ないのだ。
バスから降り、早速、峠のすぐ下の集落、坂下から歩き始める。

少し歩くと私の100メートルほど前を、私と同じような格好をした人が歩いている。
峠道になって前の人も私のことに気づいたようだ。
後ろはともかく、前を歩く人はあまりいい気持ちではないのではないか。

080815鈴鹿山.jpg
さあ登るぞ

写真を取っているうちに前の人とは間隔があいた。
マイペースで歩いていける。
私は一人で行く方が気が楽だ。
そんなことを思いながら峠道を歩いていくと前がひらけた。
登りきった。
疲れが何割かは吹き飛んだ。
三重県から滋賀県へ、旧国名でいえば伊勢の国から近江の国に入ったことになる。

080815鈴鹿峠.jpg

鈴鹿峠を越え、都がぐっ。と近づいた気になる。
あくまで気持ちの問題だが、単純に歩き続けることをしていると、この気持ちの問題が結構大きなウェートを占めることを感じる。

鈴鹿峠を超えたが、次の土山宿まではまだまだある。
茶畑が多いのが意外。
なんか親近感と同時にライバル意識も持ってしまう。
複雑な心境。
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2008年08月02日

関宿〜坂下宿

関宿は、町並みからして歴史を残そうとしている感じが好感が持てる。
郵便局や銀行も町並みに合わせた作りになっている。
こういう町にもっと観光客が来ても良いのになと思う。

080802関宿歴史の道.jpg
関宿歴史の道

関宿を抜けると長いのぼり道が待っている。
鈴鹿越えだ。
先方には山が迫ってくる。
険しさを感じる反面、よしやってやるぞという気持ちにもなった。

途中で私の出た大学のOBのワンダーフォーゲル部の面々とすれ違う。
みんな同じTシャツを着て歩いていたが、別に大学の名前を入れることはないと思うのだが。
私がへそ曲がりなのかな。

坂下宿に着く直前、東海道の宿場を全部書いたくいのようなものが並んでいた。
なんか力がわいてくる気がした。

11時半ごろ、予定よりも早く坂下宿に到着。
バスを待つ間、ブログの投稿をしようとしたが、電波が弱く投稿できない。
こんなところまで歩いてきてしまったんだなと改めて思った。

080202坂下宿.jpg
坂下宿

次回は12時40分ごろにこのバス停に着く始バスでやってきて再開する予定だ。
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亀山宿〜関宿

東海道御徒徒歩紀行を再開する。
前回は亀山宿まで歩いた。
しかし、ここからが正念場だと私は思っていた。
今日は坂下宿まで歩くつもりだが、駅から離れているためバスを使わざるを得ない。
そのバスの終バスが昼の12時50分なのだ。
いつもはだらだらと朝をホテルで過ごしてしまうのだが、この日は終バスを気にしてさくっとチェックアウトして歩き始めた。

080802亀山宿京口門跡.jpg
亀山宿京口門跡

三重県下を歩いたとき全般に思ったことだが、道案内がしっかりしていて迷う可能性が少ないのがいい。
亀山宿内も、宿を出て関宿を向かう道も迷うことなく進むことができた。
ストレスなく歩き、予定通りの時間に関宿に着いた。

080802関宿東追分.jpg
関宿東追分
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2008年02月02日

東海道 庄野宿〜亀山宿

とりあえず京都へ行こうと思った。
今度の三連休は、日曜日に実家に軟禁されることが確定してしまったので遠出できない。
だから今週、手ごろなところへ出かけようと思ったのだ。
だが、単純に京都へ行くだけなら芸がない。
もちろん京都へ行く目的はあるものの、それひとつでは弱いと思えるものだけに何かほかに目的を見つけたい。
そんなわけで二週間前に行ったばかりだが、東海道御徒紀行をちょっとだけ進めることにした。
東海道の終点も京の都であることでもあるし、ちょっとだけまわり道のようだが、琴風豪規なら「いいさ」と言ってくれるだろう。

JR加佐登駅を降り、庄野宿の江戸口に到着、ここから再開する。
庄野宿は約600メートル続くが、町並みは全体的に古めかしく、そこが旧東海道っぽくて風情がある。
ただ江戸時代から残っている史跡はないようだ。
これといったシャッターチャンスもなく、庄野宿の京口についてしまった。
080202庄野京口.jpg

歩みを進める。
関西線の線路を渡った辺りで行政区は鈴鹿市から亀山市へ。
亀山と言えば、昔ロウソク今液晶。
景気のいい街なんだろうなと思っていた。
景気の話はさておき、町の歴史を大切にしようという意識が形になってあちこちに見られ、私のような歩行者にはありがたい街だと思った。

亀山市の中心に近づくと、江戸時代の屋号が表示されていて飽きることがない。
「おけや」「みかわや」「さくらや」などの表札がほぼすべての建物についている。
「ヨドバシ」はなかったが。

宿の中に入る。
本陣跡の木の表示版があった。
本陣があったと思われる場所にはSHARP関連の事務所が入っている。
亀山の今昔を象徴していると感じいる。

080202亀山宿.jpg

今回の行程はここまでとする。
約8キロと短かったが、ついでの意味合いもあるので、自分では良しとする。
次回は鈴鹿峠が待ちかまえている。
東の箱根に匹敵する西の最大の難所だ。
次回と次々回を乗り越えれば楽になる。
三条大橋の到着予定日も決まったことだし、フィナーレに向かって着実に歩いていこう。
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2008年01月20日

東海道 石薬師〜庄野

石薬師の宿の規模は小さい。
宿場町としてよりも、歌人佐々木信綱の生誕地として町おこしをしているように思った。
佐々木信綱顕彰会が作成した「信綱かるた道」マップというものがある。
その地図のとおり36首が街道沿いに貼り出されている。

080120石薬師宿入口.jpg

石薬師から次の宿場の庄野までは距離にして2.7キロと短い。
この短い間に気になったことが出てきた。
鈴鹿市に入ってから、宿場付近を除くと東海道の案内がなくなったのだ。
鈴鹿市は徒歩旅行者には無頓着で、ホンダの顔色をうかがうのに気をとられていたのかもと邪推する。
また道に迷っているうちに、私と同じく東海道を歩いていると思われる年輩の三人組に追い抜かれる。
ありゃあと思いつつ、その三人組の後を追って歩いているうちに庄野の宿の入口に到着。
三人組も写真を撮っている。
彼らはさらに先を急いでいたが、庄野だけにかまわないのがルールと、わたしはここで本日の行程を終わらせることにした。
次回は庄野の宿の江戸口から歩き始め亀山か関かどちらかまで進もうと思う。

080120庄野宿場江戸口.jpg

御徒紀行は終了したので、ここから先は蛇足。
加佐登の駅に到着。
時刻表であらかじめ調べて覚悟はしていたのだが、次の列車まで50分!待ち。
おかげでブログを投稿する時間をとることができたのだが、それにしてもこの時間帯1時間に1本とは。
ちょっと悲しい鈴鹿市のひとこまだった。
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東海道 四日市〜石薬師

サッカーがシーズンオフになったので、これからの時期しばらくは、旅がメインとなりそう。
今回は昨年の夏以来の東海道御徒紀行を行うことにした。
始点は四日市で決まっているのだが、今回の終点は決めていなかった。
庄野の宿で止めておくか、ちょっと無理して亀山まで行くか、それはそのときの状況次第と思っていた。
ただ天気予報で午後から雪!となっていたので、亀山まで行くのは難しいだろうとは思っていた。

近鉄四日市の駅に降り立つ。
この前はお盆休みの時期に来て、あまりの暑さに歩くのを中止した。
今日は寒いものの、当然熱中症の心配はなく、再スタートをきった。
と、街道を歩き始める前にまず四日市の諏訪神社にお参りし、健康ともう一つあることとをお祈りした。
もう一つが何かはヒ・ミ・ツ、ムフ。
とても後厄を終えようとする男の文章とは思えないな。

080120四日市諏訪神社.jpg
四日市諏訪神社

三重県内に入って感じることだが、東海道の案内がしっかり出ているところが多い。
ここ四日市でもそう。
私の推測だが、東海道線や新幹線の影響が強く、本来の東海道が三重県を通っていることを知らない人が意外と多いので、東海道が通っている三重県をアピールしたいがため、県をあげて運動をしたのではないか。
違っていたらごめんなさい。

四日市の市街地を抜けると程なく日永神社の前へ。
先ほどエスパルスのことをお祈りするのを忘れていたので、こちらの神社で、一日でも永くエスパルスが強くあり続けますようにとお祈りする。

旧東海道と国道一号線と合流する地点が日永の追分。
東海道と伊勢街道の分岐点だったところだ。
羊羹は売ってなかったが、饅頭が近くの和菓子屋で売っていたのにちょっと笑う。

080120日永追分の碑.jpg

近鉄内部線の線路を越え、内部川も渡ると杖衝坂の難所が待ち構えていた。
私の不注意から道を間違え、体力をかなり消耗したこともこの坂の印象を過酷なものにした。
日本武尊が剣を杖の代わりにしてやっと歩ききったという故事に由来する地名だが、その由来もわかるような気がした。

杖衝坂を越え鈴鹿市にはいると、すぐ石薬師の宿場だ。
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2007年08月05日

東海道 桑名〜四日市

宮〜桑名間の番外編も歩ききって、東海道五十三次御徒紀行を再開することとなった。
再開の場所は桑名宿の七里の渡し跡。
本当は写真を撮っておこうと思ったのだが、いい被写体がないので割愛。

ちょうどこの日、桑名市では天下の奇祭くわな石取祭が行われている由。
歩く先々で人形を中心にすえた山車が見られた。

桑名山車.jpg

そんな山車を見ながら歩いていると「歴史を語る公園」があった。
これは東海道を模した公園で江戸日本橋から京の三条大橋が数十メートルに圧縮されている。
間にあるのが富士山と桑名宿と鈴鹿峠だけというのに苦笑する。

先に進むも、ちょっと心配していたことがあった。
地図を見た限りでは、道を迷うかもしれないと思う箇所がいくつかあったのだ。
ところが、迷いそうなところにことごとく案内碑があり、迷うことなく進むことができた。
桑名市内だけかと思ったが、案内表示こそ違え次の通り道朝日町でも、さらに四日市市でも案内がされていた。ありがたいことだ。

途中、玩具店イモヤの前を通る。
その雑然さに圧倒される。
岩本テルも来た、と落書きなのか寄せ書きなのかよくわからない言葉も書いてあった。
チッ、遅れてしまったか。

町屋川を越えると行政区域は朝日町に。
取り立てて書くこともないが、道に迷うことなく歩けたのはなにより。

町屋川を渡って2キロぐらいだろうか、今度は朝明(あさけ)川を越えて四日市市に入る。
と、大四日市祭のポスターが貼ってあるのが目に入る。
今日は祭りだらけだなあ。
久しぶりに歩いて、さらに炎天下の中を歩いて、かなりしんどかったがラストスパートと自分に言い聞かせて歩き続ける。

四日市市街にはいると、祭りの喧騒の雰囲気が感じられてくる。
諏訪神社にお参りしようと思ったのだが、屋台やら人並みやらであきらめる。
さらに街道を進もうとするとからくり人形をしつらえた山車が。

四日市山車.jpg

しばらく見ていたかったが、早く休みたかったので、もう少しだけ歩いてこの日はお仕舞いとした。
本日の行程12.6キロ、けして長い距離ではないが、前に書いたとおり、久しぶりかつ炎天下ということでかなりきつかった。
そんな中、東海道の表示が迷いそうなところすべてにあったのがありがたかった。
三重県ではずっとこういった表示が出てくれているといいのだが。
次回以降も期待したいところだ。
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2007年05月04日

東海道紀行番外編その2

5月4日、五月晴れのこの日、朝6時半に実家を追い出された私は名古屋へ向かった。
東海道御徒紀行の番外編を再開するためだ。
在来線を乗り継ぎ10時に名古屋駅到着。
だが、その後バスターミナルの場所を間違えたりしてなかなかはじめられず、再開ポイントの東神守のバス停に着いたのは12時を過ぎていた。
とにかくリスタート。

旧神守の宿界隈は、由緒ある建物と思われるものが多かった。
なんか歩いていても気分が良い。

津島市役所の前で主要道から外れる。
すぐに由緒ある碑があり、写真を撮ろうと思ったのだが、なぜか数人の女子高生がすぐそばで深刻な表情で話し合っていたので撮るのをはばかられた、残念。

次のポイントは佐屋の渡し跡の碑。
こちらはすんなり撮影。

070504佐屋の渡し跡.jpg
佐屋の渡し跡の碑

ここまでが佐屋街道、ここから桑名までは船を使うことが多かったとのこと。
だが私は歩き続ける、ここからは進路を南へ。

名鉄尾西線を左に見ながら歩き続けたあと、JR線と近鉄線の線路をくぐり、尾張大橋へ。
この橋を渡ると愛知県を過ぎたことになり三重県に入る。
橋の下は木曽川、歩くのもちょっとおっかなびっくり気味。
渡り終わって三重県へ、地名は長島町。

長島町は、戦国時代は一向一揆で有名だったところと記憶している。
どこか歴史の古さを感じさせるたたずまいがある。

長良川が見えるとすぐに伊勢大橋を渡ることに。
伊勢大橋をわたる間、左手に醜い建造物が、それが長良川河口堰。

070504長良川河口堰.jpg

はまぐりも成仏できないだろう。

橋を渡り終え、堤防の上を歩く。
上から見ると川の水面の方が土地より高いということがよくわかる。
水害が多いのも納得してしまう。

今日の最終目的地、桑名の七里の渡しに到達。
周辺は公園になっていて、やたらカップルが目立つ。
それも老若を問わず。
桑名市民の憩いのスポットのようだ。

次回はこの七里の渡しから再開予定。
東海道の道案内もしっかりされていて、今から次回歩き始めるのが楽しみだ。
タグ:街道
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2007年02月25日

20070225番外編佐屋街道

今回は「東海道を歩く」の番外編。
本来、宮〜桑名間は七里の渡しということで海上が正しいルート。
でも私は、せっかくだから宮〜桑名間も歩いて行こうと思っていた。
そこで調べたところ、佐屋街道という道があり、船に弱い人などはこの道を使ったことを知った。
今回は、宮から佐屋街道の神守(かもり)の宿までを歩く。

一月ほど前に歩いた熱田区伝馬町あたりにまた来た。
宮の宿のはずれのT字路、左は宮の渡しへ、右は美濃路(佐屋路)の碑が。
当然今回は右へ。
すぐに熱田神宮が目に入る。
敬意を表してお参り。

img033.jpg
拝殿をのぞむ

この時期が込む時期なのかそうでないのかよくわからないが、とにかく人が多いな、と思ったことは確か。
私が熱田神宮に持っているイメージというと、漫画「包丁人味平」で、主人公塩見味平が“包丁貴族”団英彦と勝負をしたところというもの。
牛次郎・ビッグ錠は黄金コンビだったなと思わずにいられない。

文字通りわき道にそれてしまった、歩くことに戻ろう。
現在の国道19号線を行く、途中までは佐屋路というより美濃路ということになる。
金山駅の手前で左折、ここから佐屋路が始まる。

尾頭橋(おとうばし)を渡ると中川区へ、ウィンズ名古屋へ向かう人が目立つ。
庄内川まで一本道。
歩道が広く、また佐屋路というプレートが足元にあるなど気分よく歩くことができた。

近鉄烏森駅を越すと中村区へ、一本道は続く。
歩道が狭くなるが仕方のないところだろう。

庄内川の手前が岩塚の宿、取り立てて遺跡があるわけではないが、雰囲気は感じる。
庄内川を越すところ、以前は万場の渡しと言ったそうな。
もちろん現在渡しが残っているはずもなく、回り道して万場大橋を使い庄内川を渡る。

川を越すと再び中川区へ、地名は万場。
神社や寺があり、歴史の古さを感じるたたずまい。
名古屋高速万場線の下をくぐると大治町へ。
東名阪自動車道の下をくぐると三度中川区、そしてまた大治町となかなか忙しい。

県道68号線に合流、ここからはクルマが主役の道となり、歩くことが快適ではなくなる。
まあ仕方のないところと、あとで思った。

福田川を渡ると七宝町、今日の行程もそろそろめどが立った。
わりと簡単に七宝町を抜けて津島市へ。
入ってすぐのところに神守の宿がある。
宿場の中心は次回に回すとして、入り口のところに一里塚跡の案内が。

img035.jpg
佐屋路神守の一里塚跡の案内

今日の行程はここまで。
県道68号線に出るまでは、気分よく歩くことができたのが収穫。
帰りはその68号線をバスで帰ってきたのだが、これはクルマが主役の道で仕方ないなと思った。
名古屋駅までまっすぐ東へほぼ一本道なのだ。

次回は東神守のバス停付近から再スタートしたい。
次回で桑名の七里の渡しあとまで歩いて、番外編は終了させる予定。
今回のように、気分よく歩けるといいのだが。
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2007年01月27日

鳴海から宮

本宿ではない有松であれだけ保存されていたのだから、鳴海の宿はそれ以上に見どころがあるのではないかと期待を持って歩いていった。
期待は裏切られた。
特に見るところがなかったので先を急ぐことにした。
一応、宿に来たという証拠として、宿のはずれにある常夜灯の写真を載せることにする。
070127鳴海.jpg

行政区は南区へ、名古屋の中心地に近づいてきているかなと思う。
右手に笠寺観音があり、あたりは門前町の賑わいが。
この南区内は、気分よく歩けた。
道に迷うことのないよう案内があり、また車の通行量も少なかった。

瑞穂区に入り、国道1号線にまたまた合流、私のテンションは下がる。
歩道橋の上にテレビカメラが見える。
近づくと中京テレビと書かれた車が何台か停まっている。
映しているのはパロマ本社。
後ほどニュースで、この日パロマ本社などに強制捜査が入ったことを知る。
これだったのか。

東海道線の踏み切りを渡り、1号線から分かれる、熱田区へ。
宮の宿の宮は、すなわち熱田神宮のこと、今日の終着も近い。
横断歩道がなく、回り道を余儀なくされたものの、無事七里の渡し跡へ到着。
時間は午後5時半、ちょっと予定の時間より遅れたが、日が落ちきる前に着けたのはなにより。
070127宮.jpg

今日の行程を歩ききったという満足感でいっぱい。
新婚の名古屋の知人と連絡をとり祝杯をあげる。
ご結婚おめでとう、ついでに私の徒歩奇行にも乾杯!
posted by s-crew at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

池鯉鮒〜鳴海

昨年の夏以来だろうか、久しぶりに東海道を歩くことにする。
今回のスタートは池鯉鮒の宿から、現在の地名は愛知県知立市。
歩き始めてすぐ池鯉鮒古城跡の脇を通る。
img020.jpg
本当はもっと宿場の跡らしいものを載せたかったのだが。

ちょっと歩くと国道1号線に合流、行政区も刈谷市に。
本来ならここで脇道に入るルートなのだが、気づかずそのまま1号線を行く。
1号線から離れたところで案内があり、道を間違えたことをその時点で知る。
かったるかったのでそのまま進むことにする、いやー失敗した。

敷島パンの工場を過ぎると境川、かかっている橋が境橋。
文字通り三河と尾張の境に架かっている。
武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・三河と来てやっと尾張へ。
でもまだまだ先がある。
img022.jpg

旧尾張の国に入って最初の行政区が豊明市。
愛知県には豊の付く地名が多いのはなぜだろう、豊臣家となにか関係があるのか。
豊田市が関係ないのはわかっているが。

豊明市と名古屋市緑区の境界が近づく。
と中京競馬場の案内板が見える。
桶狭間古戦場跡も近い。
誘惑に駆られるが、先を急ぐことにする。

県道222号線、通称緑瑞穂線に入る。
一挙にレトロっぽい雰囲気に。
ここは有松地区、江戸時代は宿場と宿場の間の宿だったそうだ。
商売をしている家だけでなく、民家にも「ありまつ」と染められた暖簾が架かっている。
このあたりはウォーキングコースとしておすすめしたい。
「見どころ歩きどころ いっぱい ありまつ」なんてキャッチを考えてみました。

有松の余韻に浸りつつ先へ進む。
次は鳴海の宿。
posted by s-crew at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

岡崎から池鯉鮒へ

久しぶりの東海道徒歩奇行紀行。
前日、途中下車もあったが各駅停車で豊橋まで、休日フリー切符をフル活用。
この日は豊橋から名鉄で東岡崎へ移動し、徒歩紀行を再開。

岡崎市内では、NHKの朝の連続テレビ小説のポスターが目立つ。
矢作川を渡るまで、東海道は北へいったり南へ行ったり蛇行を繰り返す。
地図で確認しながら歩いているとなかなかペースが上がらない。
愛知環状鉄道中岡崎駅を過ぎると味噌蔵が。
ここが名古屋人の味覚のふるさと八丁味噌の本場。
岡崎城から八丁の距離のため、この名がついた由。

矢作川を渡ると、一転東海道はほぼ一本道に。
単調になるところだが、私は表札に注目することで退屈せず歩くことができた。
前から岡崎にはある珍しい苗字が多いと思っていたので、それを確認しようと思っていたのだ。
その苗字は畔柳、くろやなぎと読む。
予想通り何件も見かけた。
岡崎だけでなく西三河に多い苗字なのかもしれない。
青森は三沢の小比類巻、宮崎の別府系(上別府・中別府・下別府さらに北別府)と同じような価値と勝手に認定。
私自身が珍しい苗字なので、こういったことに好奇心が湧いてしまう。

街道は安城市へ、すぐに松並木が。
気分は江戸時代へタイムスリップ。

さらに知立市へ、いったん途切れた松並木がまた復活。
安城市のものよりこちらのほうがいいね。

街道は国道一号線にぶつかり、仕方なく地下道を使う。
越えると宿場町らしい落ち着いた雰囲気に。
名鉄三河線を渡るともう知立の市街地。
いや池鯉鮒の宿と書くことにしよう。
市民ホールのようなところまで歩いて今日はここまでとする。
寄り道入れて3時間強の行程でした。

知立の街中ではポルトガル語があちこちから聞こえた。
もちろん私は意味がわからないが、これがポルトガル語だということがわかる程度には慣れているということです。

この日歩いたのは約13キロ、まあ短いほうですね。
次回は、池鯉鮒から宮まで20キロを越える行程だったような。
きりのいいところでもあるので、次回歩ききったら名古屋で祝杯でも挙げるとしよう。
posted by s-crew at 22:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 東海道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

御油の手前から

1月に、二川から歩いたときには日没してしまい、御油の宿までたどり着けなかった。
今回は、休みの日にしてはちょっと早起きして、完歩を目指す。

2月25日、豊橋から名鉄で国府駅に向かう。
ちょっと戻ってから。東海道五十三次徒歩の旅、再スタート。

スタートして2キロぐらいで、御油の宿。
鄙びた感じがなかなかよい。
宿を過ぎ、赤坂の宿の手前まで、御油の松並木。
これまたなかなかよろしいですね。

松並木が終われば程なく赤坂の宿。
御油と同じような感じ。

ここから藤川までが今日一番の難所だと思っていた。
東三河から西三河へ。
豊川水系から男川(乙川)水系へ。
低いが峠越えを覚悟していたが、思っていたより高低差がなく岡崎市内へと入る。
このあたりは、国道1号線と名鉄と東名高速が並行して走っている。

藤川の宿は、歴史は感じるものの活気はあまり感じられない。
宿を過ぎるとまた松並木。
こういった道は、夏暑いときに歩いたほうが、木陰のありがたさがわかっていいんだろうな、と思った。

藤川の宿を過ぎると、徐々に岡崎の都市圏へ。
国道1号線も、前はトラックが多かったが、このあたりから普通車の割合が高くなってきている印象。
東名岡崎インターを過ぎると、岡崎の宿まではもうすぐ。

宿場のあたりの道は曲がり角ばかり。
掛川の宿を歩いたときのことを思い出した。
そんなことを考えながら歩いていると、岡崎の宿の本陣跡に到着。
今日の行程はこれにて終了。
ほぼ20キロ、疲れはしたものの、前回とは違い、達成感があって満足です。
posted by s-crew at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 東海道を歩く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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