2011年01月23日

今市〜鉢石(〜裏見の滝)

中一週間でまた、おくのほそ道御徒紀行を再開することにした。
今回の予定は今市から日光(昔の宿の名でいうと鉢石(はついし))へ、さらにそこから裏見の滝まで足を伸ばし、日光の駅まで戻ってくるというもの。
正確な距離はわからないが20キロをやや越えるくらいか。
裏見の滝を見るのに険しい山登りがあるはずなので、足が大丈夫か心配しつつ臨んだ。

1月23日、前夜の興奮のためか少し寝坊したが、それでも何とか昼過ぎに今市駅へ。
日光街道まで出て、御徒紀行を再開。
10分ほど歩くと、また杉並木の中を歩くことになる。
右手には杉並木公園。
このあたりから歩道に雪が積もっているようになる。
踏み固められたところもあるが、ところによっては新雪の上を歩く感じのところもある。
栃木県でもこんなに雪が残っているのかと驚く。

歩き始めて1時間半ほどたったころだろうか、いきなり市街地になり右手にJR日光駅が。
続いて東武日光駅。
ここからやっと歩く人も見かけるようになる。
外国人の比率が高い。
さすがに世界遺産の日光と思う。

両手に土産物屋などを見ながらさらに進む。
日光橋の手前を左に曲がると日光金谷ホテル。
昼飯をここの百年カレーにしようかと前の日の時点では思っていたが、寝坊した時点で断念、ホテルに寄らず、滝を目指して歩く、歩く。

日光東照宮も、今回はパス、次による予定。

裏見の滝入口のバス停を過ぎて、幹線道路から生活道路に入る。
滝まで2.5キロの案内があった。
上り坂が続く。

実は裏見の滝にたどり着けるか自信がなかった。
地図を見ると、道路から離れたところに滝がある。
どこかで舗装された道から山道に入らなくてはならないと思っていた。
まず、その案内があるのかが心配。
さらに、雪が積もっていて舗装されていない道を進むことが出来るのかが第二の心配な点だった。
一度間違えそうになったが、裏見の滝はこちらの案内表示を見つけホッとする。
だが予想通り、舗装されていない山道で雪が積もっている。

階段を上るように山道を行く。
途中足を滑らせたのは一度や二度ではなかった。
雪山用の靴を履いてくるべきだったかと後悔。
と、人とすれ違う。
雪山装備だ。
カメラの三脚を杖替わりに使っていた。
左手に小さな滝が見え、これかなと思ったが道はさらに続いているので私も歩き続ける。
そしてとうとう展望台が見え、これだと思える滝が見えた。
DSC00035.JPG

日光三大名瀑の一つだそうだ


滝からの帰り道も、何度も足を滑らせてほうほうの体で舗装された道路まで戻る。
やはり滝は夏に来るものかもしれない。

裏見の滝入口のバス停付近まで戻る。
道を一本入ったところに小学校がある。
この小学校の中に芭蕉の句碑がある。

後は何とか日没までに日光駅まで戻りたいという気持ちで歩き続ける。
いい被写体を探していると日光橋の手前の神橋(しんきょう)がいいかなと思った。
この橋は渡るだけで300円かかる。
この橋渡るべからずと思わず口から出そうになった、罰当たりかな。
DSC00036.JPG


日光の駅にたどり着いたときはちょうど日が落ちたころだった。
手が寒さで固まっていた。

寒くても 言わぬ泣き言 恨み言
ラベル:おくのほそ道

2011年01月09日

鹿沼〜文挟〜今市

高校サッカー選手権の間の日曜日、久しぶりのおくのほそ道御徒紀行を行った。
前回は夏休みの時期に行っている。
今回は1月、なかなか進まない。
昨年の12月29日にも書いたが、これではいつまでたっても終わりそうにないので、とりあえず日光までは行くけれども、その先は電車とバスと徒歩を使って旅を続けたい。

今回の予定は鹿沼から今市まで。
20キロをやや越える行程だが、その間にここは抑えたいというポイントは一つだけだと思っていた。
それは日光杉並木街道の杉並木。
先日杉並区のムックを取り上げたのには他意はなく、偶然に過ぎない。

まずは鹿沼からリスタート。
歩き始めてすぐ、いきなり驚いた。
わたしの苗字と同じインテリアショップがあったのだ。
外から店内を覘くと、店長さんと思しき方と目が合ってしまった。
逃げるように去っていく。

気持ちが落ち着いたところで今回の行程を確認する。
確認するといってもたいして難しいことではない。
ひたすら日光例弊使街道を進めばいい。

行政区域が鹿沼市から日光市に変わったところで、うっそうとした杉並木が待ち構えていた。
ここから、途中途切れることはあったが、基本的にはひたすら杉並木の中を歩き続けることになる。
DSC00026.JPG

杉並木街道はこんな感じ


文挟の宿、あるいはJR日光線文挟駅があったはずだが、意識せずに歩き続ける。

この杉並木、歴史を感じさせるのはいいのだが、歩道がないのがつらいところ。
車道を歩くわけにもいかず、並木の外側の道なき道を歩く羽目になる。
こんなに長く舗装されていないところを歩くのは久しぶりだ。
トラックでもロードでもなくクロスカントリーをしている気分で歩き続ける。

歩き続けて3時間ほどたっただろうか、東武日光線をまたいだあたりで、足の裏が悲鳴をあげだした。
どうやらまめが出来たらしい。
普段歩きそうもない枯れ枝の上を踏みしめて進んでいるのだから仕方がない。
だが、花粉の季節でなくて良かったと強く思った。

日光宇都宮道路の下をくぐると室瀬の一里塚が視界に入る。
DSC00027.JPG

江戸から28里、100キロ以上来たことになる。
まだ先は長いが、思えば遠くへ来たもんだ、と鼻歌が出る。

JR日光線の踏切を渡ると今市市街に入った感がある。
追分地蔵尊が右手に見える。
さらにその右手から日光街道が合流する。
あと少しで日光だなと思った。
だが今日の行程はここまで。
さあ次は日光だ。

今一度 旅の計画 練り直し
ラベル:おくのほそ道

2010年08月11日

壬生〜鹿沼

今日から三日間、夏休みをとった。
土日を入れれば五連休、まずはひさしぶりの「おくのほそ道御徒紀行」といく。

前回は雪が舞う中、栃木県の壬生まで歩いた。
今回は真夏に、その壬生から再開する。
夏休みとはいえ、平日にこんなことができるなんていいご身分だな。

東武壬生駅に着いたのはほぼ正午。
駅入口の交差点まで歩き、御徒紀行は再スタートを切った。
今回の行程は、ひたすら壬生通(日光西街道)を歩くことになる。
ガイドブックを見ても簡単な記述で、今回は体力勝負になるなと思った。

北関東自動車道をくぐると、すぐに上稲葉の交差点。
このあたりに源義経に仕えた金売り吉次の墓があるという。
芭蕉は義経のファンだったので、この墓も見ただろうといわれている。
探したら確かにあった。
だが説明がなければ見過ごすこと間違いなしの小さなものだった。
SANY0152.JPG


歩き続ける。
行政区は壬生町から鹿沼市へ。
すると歩道がなくなってしまうではないか。
歩く人間にとっては怖い。
鹿沼市に悪いイメージを持ってしまった。

歩道が復活して人心地がつく。
しかし行程は単調、幸い曇っているものの暑いことに変わりはない。

東北自動車道の下をくぐるとすぐに追分の交差点。
ここからは日光例幣使街道という名前になるようだ。

ここらあたりで、後ろから来た自転車を運転する小学生に挨拶される。
おお、いきなり鹿沼市の好感度がアップ。
疲れた体にはこんなことでもうれしい、さらにいうと書くことが生まれたといううれしさでもあった。

鹿沼市の中心地に近づいてきた。
東武の新鹿沼駅前に到着。
ここで止めても良かったのだが、芭蕉が泊まったといわれる光太寺まで歩くことにした。
それだけ今回はネタが少ないのだ。

光太寺には芭蕉ゆかりという笠塚があった。
SANY0154.JPG


この笠塚へは階段を上っていった。
20キロ近く歩いてこの階段上りはきつかった。
それでもこの暑い中、歩きを終えると満足感が広がった。
日光まではあと少し、いっぽいっぽ踏みしめて近づきたい。

続ければ 空かぬ間もなく 日光へ

今回はかなり苦しい。
ラベル:おくのほそ道

2010年02月13日

間々田〜室の八島〜壬生

2ヶ月ぶりに「おくのほそ道」を歩くことにした。
この日に前々から歩こうと思っていたのだが、朝起きたら粉雪が舞っていた。
どうしようか迷ったが、そのうちあがるだろうと楽観的に考え、小山市の間々田に向かった。
間々田駅で電車を降りても粉雪は舞ったままだった。

今日の行程は、間々田から室の八島によって壬生までの約18キロ。
ガイドブックとして読み込んでいる『芭蕉「おくのほそ道」の旅(金森敦子 著)』では、室の八島についてあまりいいことは書いていない。
今日はつなぎの区間かなと駅伝のようなことを考えて「おくのほそ道」御徒紀行を再開した。

間々田からは日光街道を北へ。
小山市の中心街を抜け、両毛線の踏み切りを越え、喜沢の交差点へ。
ここで日光街道から離れて壬生通(日光西街道)を行くことになる。

下野国分寺跡の案内が見えると、行政区は小山市から下野市へ。
旧国名を市の名前にするのは、私は一般的には賛成しない。
まあ、この場合はぎりぎりOKかな。

室の八島に向かうため、壬生通を離れ栃木市に入る。
すぐに思(おもい)川を渡る。
このころから粉雪ははっきり雪に変わる。
やっぱり室の八島に行くのやめようかと思ったが、ここまで来たらなんとでもなれ、と開き直って目的地へ。
着いてみると、これがなかなかいい風情。
雪がいい化粧になっているのかもしれない。

SANY0131.JPG
芭蕉句碑 「いと遊に結びつきたるけぶりかな







SANY0133.JPG
本殿

期待してなかった分、いいもの見たなと思い、室の八島を後にする。

回りもすっかり暗くなってきた。

再び思川を渡り、今度は壬生町に入り、再び壬生通にもどって少し歩いたところで本日の行程は終了。

繰り返し書くが、あまり期待していなかった分、今回は歩き終えて面白かったという印象が残っている。
毎回あまり期待しないで歩き始めることにするかな。
実際、次回こそは本当にあまりおもしろくないだろうなと思っているんだが。

雪になり 身震いするなか 思川

2009年12月13日

古河〜間々田

今日は久しぶりに「おくのほそ道」の行程を歩いた。
古河から栃木県南部の間々田まで。
普通に考えたらもう少し足を伸ばして小山まで歩くところだろう。
だが、芭蕉は「おくのほそ道」をいく中で、間々田の宿に泊まったと記録にある。
そこで今日の終わりは間々田までにした。

短い距離ということもあり、まだ大丈夫だろうと思っているうちに出遅れたことに気づいた。
古河駅に着いたのが午後4時、こりゃ遅い。
日光街道に出て、「おくのほそ道」の旅を再開する。

今日はひたすら日光街道を歩くのみ、道に迷う心配がない。
古河市の北に位置する郊外型商業施設を右に見ているうちに茨城県から栃木県へ、旧国名で言えば下総の国から下野の国に入る。
もう少し感慨が沸くかと思ったが、特に道沿いに表示があるわけでもなく、感動のない下野の国入りであった。

野木町に入るとすっかり日がくれてしまった。
名古屋対岐阜の試合結果はどうなったかと唐突に思った。
(野木町)役場入口の交差点を過ぎると法音寺というお寺がある。
ここが今日唯一の撮影スポット、芭蕉の句碑があるのだ。
といっても、「おくのほそ道」とは関係がなく、「野ざらし紀行」で読まれた句らしい。
SANY0123.JPG暗くてよくわからないかもしれない。
明るいうちに来るんだったと後悔しても、後の祭り。

法音寺を過ぎるとほどなく小山市に入る。
住所は小山市乙女、いちごの『とちおとめ』と何か関係があるのだろうか。
急にビニールハウスが目に付くようになったのは気のせいか。

ほどなく(間々田)駅入口の交差点、今日の行程はここまでにする。
今日は出遅れたことが悔やまれる。
次の行程は結構長いものになる予定。
今日のような考えのままだと、先が思いやられる。

野木町を歩いていたときに浮かんだ句
 5時過ぎて瑞穂の岐阜が気にかかる

今日もなんとか地名を織り込むことができた。
ラベル:おくのほそ道

2009年09月26日

栗橋〜中田〜古河

あれから一週間もたっていないのに、また栗橋に来てしまった。

「おくのほそ道を行く」紀行は、中四日という、メジャーリーグの先発ピッチャー並みのローテーションで再開した。
栗橋から利根川橋を渡る。
当然、橋の下を流れるのは利根川。
埼玉県から茨城県へ、旧国名でいうと武蔵の国から下総の国へ。
茨城というと常陸の国だと思う方も多いだろうが、古河のあたりは下総の国、なんか北へ向かっているはずが東に行ってしまったような気になる。
橋の右手にはJR宇都宮線の鉄橋。
電車が通ったのでそちらを見ると、橋の下の川辺に白い鳥が一羽。
なんの鳥だろう、でも白はなんか縁起がいいな、と思う。

橋を渡り終わると古河市に入り、旧中田宿。
SANY0111.JPG
静岡市駿河区ではない。

日光街道を進み、宇都宮線の線路を渡る。
と、ここで寄り道することにする。
どこに寄り道したかは次の記事を見ればわかります。

約4時間半後、寄り道から戻って再開。
といっても日光街道を北上するだけで取り立てて書くことはない。

古河市の中心に近づくと、旧城下町・旧宿場町の風情が感じられるようになる。
SANY0112.JPG
旧本陣跡の碑のところで今日の行程は終了。

日光へ 胸を焦がして 北上す
ラベル:おくのほそ道

2009年09月22日

幸手〜栗橋

幸手のあたりは日光御成街道を行くことになる。
その後、日光街道に合流し、しばらく行くと権現堂さくら堤が見えてくる。
今は桜の季節ではないが、曼珠沙華の花でつつみが赤く染まっている。
これはこれできれいだが、桜の季節はさぞや、と思わせる。
090921幸手権現堤.jpg

ここから先は国道4号線に沿って進む。
クルマ優先の道で歩くには難がある。
歩き続けた疲れが出てくる。

行政区名は幸手市から栗橋町へと変わった。
今日の目的地も近づいている。
道から右手を見ると権現堂川、その先は千葉県だ。

4号線から離れて栗橋の生活道路へ。
そして関所蹟の碑にたどり着く。
今日の最終目的地だ。
090921栗橋関所蹟.jpg

今日はここまで。
久しぶりに1日に20キロ以上歩いて、疲れた。
でも達成感がある。
北へ向かう意欲がまた高まった。

4号線 右手を見れば 権現堂
ラベル:おくのほそ道

春日部〜杉戸〜幸手

今日(というかすでに昨日になってしまったが)、当初は群馬かひたちなかに行く予定だったが、11時キックオフに間に合うように起きられず断念、替わりにおくのほそ道の旅をすることにした。

再スタートの地は春日部、クレヨンしんちゃんをが書かれたポスターが目立つのが悲しい。

最初の目的地は観音院、芭蕉が泊まったと言う説がある神社だ。
句碑はあるものの、はっきりいってしょぼい神社だった。
今は昔か。
090921春日部観音院.jpg

そのあとは日光街道を一路北へ。
春日部市を過ぎると杉戸町。
杉戸町の中心地からほど近いところに芭蕉の句碑がある。
090921杉戸句碑.jpg

さらに日光街道を北へ。
二度東武日光線の踏切を渡る。
日光と聞くとモチベーションがあがる。

幸手の宿跡はすぐそこだ。

久しぶりに一句
みちのくへ 粕壁過ぎと 去ってきた

2009年08月21日

南越谷〜春日部(粕壁)

知り合いが九州や四国を鉄道で旅しているというのに、私は地味なこったと思ってしまった。

「おくのほそ道」の旅も本格的に歩き出して二行程目。
今日は南越谷から春日部まで。
現在の地名は春日部だが、ここは雰囲気を出して粕壁と書きたい。
このほうが、その町の歴史を感じる。

リスタートの地点はJR南越谷駅。
駅前は、今日から夏祭りらしくイベント台が組まれていた。
日光街道へ出て、一路北へ向かう。

正直言って今日の行程はあまりおもしろくないだろうなと思っていた。
史跡など見所があまりないのだ。
旧越谷宿の跡も、なんとなくそれっぽい雰囲気はあるものの、写真に残そうと思うほどでもない。
元荒川を渡るときに、旅するということはいくつもの川を越えていくことなんだ、と思ったのが収穫というかなんというか。

予想通り見せ場もないまま北へ、ただ北へと歩き続ける。
いったん別れた日光街道と、せんげん台の手前で合流、しばらくして新方川にかかる戸井橋を渡ると春日部市。

ここのあたりは日光街道がそのまま国道4号線で、1キロ歩くたびに日本橋から何キロと標識がある。
東武野田線のガードをくぐってしばらく行くと一宮の交差点。
ここまで来れば今日の最大の目的地としていた東陽寺はすぐ。
この寺は芭蕉が泊まったといわれている。
実は春日部には芭蕉が泊まったといわれるところは2箇所ある。
SANY0110.JPGそのうちの一つがこの寺だ。
碑があり、いい被写体があったと喜ぶ。

春日部駅まで歩いて、今日の行程はここまでとする。
今日はネタがなかったな。
次回はネタがありそうなので、楽しんで書きたいと思う。
やっぱり書いてるほうが楽しまないと、読んでるほうも楽しくないと思うんですよね。
ラベル:おくのほそ道

2009年08月10日

千住〜南越谷

千住の宿を抜けると荒川が行く手に立ちはだかる。
その荒川にかかる千住新橋を渡る。
このころから日が翳りだす。
歩きやすくなった気がして、これまた都合よく幸先のいいことだと解釈する。
つくづく私は脳天気だと思う。

再度国道4号線から離れ旧日光街道を進む。
現在の地名で言えば足立区を歩いている。
足で立つとは、当たり前のことではあるが、私の行程のスタートの地点としてふさわしい地名であることよ、としつこいようだが都合よく解釈する。

足立区を歩き終えるとその先は埼玉県草加市。
SANY0106.JPG
毛長川にかかる水神橋を渡り草加市へたどり着く。
ただ、川は小汚いし、橋も名前負けしてる感じだし、これといった感慨はなかった。
東海道のときは、多摩川を渡って達成感があったが、今回はそんなことはなかった。

草加市に入って2キロほど歩いたころだろうか、急にせんべい屋の看板が目立つようになった。
そうだ、ここは草加せんべいの本場なんだ。
今さらのように気づく。
お土産に買おうかとも思ったが、荷物になるのでやめた。
しかし「草加せんべい発祥の地」の石碑があり、好奇心で写真を撮ってしまった。
おくのほそ道とは関係ないが載せてしまえ。
SANY0107.JPG
このあと松尾芭蕉文学碑だのおくのほそ道文学碑だのといった、このブログに載せるべきものがあったのだが、写真を撮るのを忘れる。
何をやっているのだか。

と、右手に水質が悪いことで有名な綾瀬川が寄り添ってきて、川沿いの遊歩道のようなところを歩くことになる。
そこへレッズの9番のレプリカを着た少年が自転車に乗ってやってきた。
もしかしたらと思い、誰のユニか確認すると永井。
フフフと思う。

そんなこんなで今日の目的地武蔵野線、南越谷駅に到着。
今日歩いているうちに考えたことを整理する。

やはり、おくのほそ道あるいは松尾芭蕉に関するものがあればできるだけ写真に納めること。
やはり俳句を載せようと思ったが、私の駄句では俳句というより川柳に近いだろう。
そこで私の素人の句を勝手に素句柳と命名し、記事の最後に載せることにしたい。
素句柳はすくりゅうと読んでね。

綾瀬川 流れを右手に ただ進む
(青葉城恋歌のパクリと思うかもしれないが、否定はしない)

2009年08月09日

千住の宿

今の時期が進めるチャンスと思い、唐突に「おくのほそ道」の旅を再開することにした。
リスタート地点は水上バスの千住乗降口。
本当は隅田川に沿って歩きたかったのだが、立ち入り禁止になっていて叶わず、一般道を歩く。

JR常磐線、つくばエクスプレス、地下鉄日比谷線のガード下をくぐり、千住大橋の手前でやっと川沿いに出ることができた。
SANY0104.JPG橋の下をくぐるとこんなものが。

いいじゃないですか、本格的な旅立ちの初日にふさわしいではないですか。
ちょと気持ちが引き締まった。


SANY0105.JPG国道4号線から旧日光街道に入ったところに芭蕉の像が。
この先何度こういった像を見ることになるのだろうかと思う。



このころはちょうど日が差していて暑かった。
しかし、日が差すは日光に通じ、ひとまずは日光に向かうことになる私の明るい道行を象徴しているのではないかと都合よく解釈する。

照りつける 夏の日差しよ 日光よ

2009年08月01日

両国から千住まで

「おくのほそ道」の旅を始めたはずなのだがいっこうに進まない。
その原因は、水上バスの運航日が私の都合の悪い日にばかりあたっているからだ。
芭蕉は深川から千住まで船で隅田川を上った。
私もそれになぞって、深川からは無理でも両国から千住までは船で行きたい。
今日も11時から草野球が入っていたので無理かと思ったが、草野球のほうを遅刻覚悟で両国から水上バスに乗ることにした。

両国の水上バス発着所について失敗に気がついた。
デジカメの電池が切れていたのだ。
だから川からの眺めをブログにアップすることができない。
残念。

9時に水上バスは両国を出港、いくつか橋の下をくぐり、隅田川と綾瀬川の合流地点を過ぎたあたりで減速し、千住の(水上)バス停に到着。
降りたのは私一人、乗ってきたのは3,4人といったところか。
これで500円は高いのか安いのか。

ともかくこれで千住まで来た。
これからはひたすら徒歩での道行となる。
エスパルスがナイトゲームばかりのこの時期の昼間にできるだけ距離を稼いで起きたい。

千住から南越谷まではまた来週にでも。
こんどはデジカメで記録を載せるぞ。

2009年06月27日

深川〜両国 足慣らし

かねてより公言していた「おくのほそ道」紀行をついに始めることにした。
今日は足慣らし程度に、深川から両国の水上バス発着所まで歩くことにした。

12時5分前、芭蕉庵の前からスタート。
清澄公園に沿って歩き、そして隅田川まで出る。
芭蕉はここから船で千住に向かったわけだが、あいにく現代に船着場はない。
しばらく隅田川に沿って歩く。

SANY0094.JPG
隅田川に繋がる小さな川を渡ると、芭蕉稲荷という神社がある。
とりあえず5円お賽銭をあげてきた。

すぐに江東区芭蕉記念館がある。
入場料100円とあり、パスすることにする。

また隅田川沿いに出て、遊歩道のようになっている川沿いを歩く。
ときどきベンチがあり、上半身裸で日光浴している男性が何人かいた。

SANY0098.JPG

両国橋を過ぎ、JR総武線のレール下をくぐればまもなく両国の水上バス発着所。
次回はここから千住まで水上バスで川を上る予定だ。
その水上バスが朝9時出発というのがネック。
まあ、次回もあまり歩かない紀行となりそうだ。

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